I 総 論

第1章 原子力安全確保の新体制の確立及びこれに至るまでの経緯

 我が国における原子力の研究,開発及び利用の黎明期ともいえる昭和30年12月に原子力基本法が制定されて以来,既に四半世紀が過ぎた。当時の原子力委員会が昭和32年に刊行した原子力年報創刊号には,時代の最先端をゆく科学技術としての原子力の平和利用に対する期待と決意とが述べられている。この決意の中には,「原子炉の運転,核燃料物質の開発の進展,アイソトープの利用に伴う放射線障害を防止することは,きわめて重要な問題である」との基本的考え方が明らかにされているが,以来,我が国における原子力の研究,開発及び利用(以下「原子力開発利用」という。)については,安全の確保を大前提として,諸施策が進められてきている。
 原子力安全委員会が,その年報の創刊号を刊行するに当たり,当委員会設置に至るまでの我が国の原子力安全確保施策の歴史を振り返ることは,当委員会設置に至る背景を明らかにすると同時に,当委員会に課せられた責務を明確化する観点から意義があると考えるので,まず,この歴史について述べることとしたい。

 1 原子力安全確保の施策の歴史

 原子力の安全確保施策の重点は,時代の要請を受けて変遷を遂げてきているが,ここでは原子力安全委員会の設置に至るまでの流れを大きく3つの時期に区分し,各期間における当時の原子力委員会の施策を中心としてこれを振り返ることとしたい。

(1) 第1期
 第1期は,原子力開発利用の揺らん期である昭和30年代初頭から,原子力発電の実用化が緒についた昭和40年頃までの期間である。
 この期間の当初において,原子力の安全確保施策の基本的枠組が整備された。
 すなわち,まず,昭和30年に,原子力基本法,原子力委員会設置法等が制定され,これに基づき,昭和31年に設立された原子力委員会は,安全確保政策を含む原子力政策の企画,審議,決定の任に当たることとなった。これに続き,昭和32年には,核燃料物質,原子炉等による災害の防止符を目的とする「核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(以下「原子炉等規制法」という。),放射性同位元素,放射線発生装置等による放射線障害の防止を目的とする「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」(以下「放射線障害防止法」という。)が公布された。また,同年に,科学技術庁に放射線医学総合研究所が設置され,同研究所において,放射線による人体の障害,その予防・診断及び治療に関する調査研究,放射線の医学的利用に関する調査研究等が行われることとなった。更に,昭和33年には,「放射線障害防止の技術的基準に関する法律」が公布され,同法に基づき,放射線障害の防止に関する技術的基準の斉一を図るため,総理府に放射線審議会が設置された。

 この期間の原子力開発利用は,昭和31年に政府の監督下の原子力開発機関として設立された日本原子力研究所及び原子燃料公社を中心として,各種試験研究用原子炉及び動力試験炉の設置・運転,原子燃料の研究開発等が実施されるという形で進められた。一方,民間においては,昭和32年に発足した日本原子力発電株式会社により,実用発電用の第1号原子炉として英国の天然ウラン黒鉛減速ガス冷却炉が導入された(同原子炉は茨城県東海村に設置され,昭和41年から営業運転を開始した。)のを皮切りに,第2号炉として米国から濃縮ウラン燃料軽水炉の導入が計画され,その着工準備が行われるなど原子力発電実用化のための動きが活発化した。また,昭和38年には,原子力船の開発を行うことを目的として,日本原子力船開発事業団が設置された。これら原子力のエネルギー利用の実用化及びそのための研究開発の推進と並行して,放射性同位元素等の放射線利用も,当初からの基礎的な研究分野のほか,工業,農業,医学等の広範な分野において,推進が図られた。
 原子力委員会は,これらの原子力開発利用の実態及び近い将来の原子力開発計画における安全確保に適切に対処するため,昭和33年,その内部に原子炉安全審査専門部会(同専門部会は,昭和36年に,原子力委員会設置法に根拠を有する原子炉安全専門審査会として発展的に改組された。)及び原子炉安全基準専門部会を設置した。原子力委員会は,これらの専門部会に,それぞれ,原子炉の安全審査及び原子炉施設の安全性に係る技術的基準の検討を行わせるとともに,昭和36年に定めた原子力開発利用長期計画に基づき,安全確保の基礎となる放射線障害防止に関する調査研究,原子炉施設の安全性に関する研究等の推進を図るための施策を講じた。

 原子力委員会は,昭和38年11月,原子炉安全基準専門部会から,原子炉立地審査指針に関する報告書の提出を受け,同報告書に基づき検討を行った結果,昭和39年9月「原子炉立地審査指針及び同指針を適用する際に必要な暫定的な判断のめやす」を決定し,これを陸上に定置する原子炉の設置に先立って行う安全審査の際の判断のよりどころとした。
 更に,原子力委員会は,昭和39年5月,再処理施設安全審査専門部会を設置し,原子燃料公社の再処理施設及び日本原子力研究所の再処理試験施設の安全性について調査審議を行うとともに,原子力船安全基準専門部会を設置し,原子力船の港湾等における運航の安全性に関する技術的基準について検討を開始した。
 一方,放射線審議会は,原子炉等規制法,放射線障害防止法等に基づく関係規則等における技術基準の整備について,関係行政庁から諮問を受け,審議を行い,その結果を答申するとともに,昭和39年10月,国際放射線防護委員会(ICRP)の1962年勧告を検討するため,ICRP勧告特別部会を設置し審議を行った結果,昭和40年6月,同勧告の内容のうち,放射線障害防止に関する我が国の技術的基準に採り入れるべき点について,内閣総理大臣あて意見具申を行った。この意見具申を受けて,関係行政庁は,原子炉等規制法に基づく関係規則等について,所要の改正を行った。

(2) 第2期
 第2期は,原子力発電の実用化が開始された昭和41年頃から,原子力発電の本格化をはじめとして,新型動力炉,核燃料サイクル関連技術等の分野で,原子力開発利用が多様に進展し始めた昭和45年頃までの期間である。
 この期間の原子力開発利用は,まず,原子力発電の分野で,昭和41年7月に日本原子力発電株式会社東海発電所で1号炉の営業運転が開始され,昭和46年3月末には,商業用発電炉で,運転中のもの4基(総電気出力は約130万KW),建設中のもの9基(同約580万KW)に達した。また,昭和42年10月には新型動力炉及び核燃料の開発体制を抜本的に強化するため,原子燃料公社を解散し,同公社の業務も引き継いで動力炉・核燃料開発事業団が発足し,同事業団を中心として,高速増殖炉の実験炉,新型転換炉の原型炉,使用済燃料の再処理施設等の建設準備など動力炉,核燃料関係の大規模研究開発が進められることとなった。また,日本原子力船開発事業団において原子力第1船「むつ」の開発が進められた。民間においては,核燃料の成型加工分野での海外技術の導入が図られ,産業化が進められた(この産業化に対応して,加工事業者等に対する安全現制を行うため,昭和43年,原子炉等規制法の一部が改正された。)。更に,放射線利用については,工業,農業,医学等の分野で一層広範な利用が進められるとともに,食品照射,放射線化学,公害原因調査等の分野への応用のための研究開発が,日本原子力研究所等において実施された。

 原子力委員会は,これら原子力開発利用に関する諸施策の進め方について,昭和42年に改訂した原子力開発利用長期計画の中で示したが,原子力の安全確保に関しても,その中で「安全対策については,さらに実証的な研究をすすめ,より具体的,合理的な安全基準の改善,整備をはかる等,原子力の実用化に対応した安全対策の確立をはかる」旨の基本的考え方を明らかにした。
 原子力委員会は,この基本的考え方に則り,上記原子力開発利用の実態及び原子力開発利用長期計画に示された原子力開発利用の方向に適切に対処するため,原子炉安全専門審査会で原子炉の設置(変更を含む。以下同じ。)における安全性について,個別案件ごとに調査審議を行うとともに,昭和41年8月に加工施設等安全基準専門部会を設置し,加工施設等の安全審査のための指針の整備の検討に着手した。また,昭和43年10月に動力炉安全基準専門部会を設置し,新型動力炉を含む原子炉施設の安全審査のための諸指針の整備の検討を開始した。原子力委員会は,昭和42年5月,加工施設等安全基準専門部会から「加工施設の安全審査指針」について報告を受けた(これ以降,加工事業の許可に係る安全審査に関しては,この指針が使用された。)。また,原子力委員会は,昭和44年11月,動力炉安全基準専門部会から「プルトニウムに関するめやす線量」について報告書の提出を受け,審議した結果,プルトニウムを燃料とする原子炉の立地評価の際に用いるべきプルトニウムに関するめやす線量を決定した。

 更に,原子力委員会は,昭和44年3月,動力炉・核燃料開発事業団の再処理施設の安全性について,再処理施設安全審査専門部会から報告を受け,審議した結果,同年11月,内閣総理大臣に対し,当該再処理施設の安全性は確保しうる旨答申をした。
 また,原子力委員会は,昭和45年11月,原子力船安全基準専門部会からの報告に基づき,「原子力船運航指針及び同指針を適用する際に必要な暫定的な判断のめやす」を決定し,これを原子力船の原子炉の置設に先立って行う安全審査の際の判断のよりどころとした。
 原子力委員会は,これらの諸施策と並行して,日本原子力研究所を中心とした原子炉の工学的安全研究,放射線医学総合研究所を中心とした放射線障害防止に関する研究等の施策を強力に推進した。
 一方,放射線審議会は,昭和41年,災害対策基本法に基づく防災業務計画中に記載すべき「放射性物質の大量放出事故に関する応急対策の放射線レベル」について内閣総理大臣の諮問に応じ答申を行うなど放射線障害防止の技術的基準について,関係行政機関の長からの諮問に応じ答申を行った。

(3) 第3期
 第3期は環境問題一般に対する国民的関心が高まってきた中で,原子力開発利用の分野においても環境の保全,安全性確保の問題が大きくクローズアップされた昭和46年頃から,原子力安全行政体制の改革,強化が実施されて原子力安全委員会の設置に至る昭和53年10月初めまでの期間である。
 原子力委員会は,この期間の当初である昭和47年6月に,原子力開発利用長期計画を改訂し,その中で環境の保全,安全の確保を前提に,原子力開発利用を円滑に推進すべきであるとの考え方のもとに,原子力発電の計画的推進,そのための立地確保,動力炉及び核燃料の開発など原子力開発利用全般について,今後10年間における推進方策を明らかにした。
 このうち,原子力発電の計画的推進については,原子力施設をめぐる環境,安全問題に関する国民の関心の高まりを背景として,原子力発電所建設予定地での反対運動が起ったこと等のため,当初計画の大幅な遅れが不可避になったが,以下に述べるように原子力開発利用の各分野において著しい進展がみられた。

 まず,原子力発電についてみれば,昭和53年9月末には,商業用発電炉で運転中のものは計15基,総電気出力は877万8千KW(総発電設備容量の約8%),建設中のものは計10基,総電気出力892万3千KWに達した。
 新型動力炉の開発は,動力炉・核燃料開発事業団により進められ,高速増殖炉の実験炉「常陽」が昭和53年2月に初臨界に達するとともに,新型転換炉の原型炉「ふげん」が昭和53年3月に初臨界に達するなどその開発が本格化した。
 また,核燃料サイクル関連の技術開発についても,動力炉・核燃料開発事業団を中心として強力に推進され,例えば,昭和52年9月には,東海再処理施設の試運転が開始されるとともに,昭和53年2月には,ウラン濃縮パイロットプラントの建設着手が行われるなどその開発が本格化した。

 原子力委員会は,これら原子力開発利用の多様化及び大規模化等に伴う環境の保全及び安全の確保に関する諸問題に適切に対処するため,昭和47年2月に,環境・安全専門部会を設置し,原子力施設をめぐる環境の保全と安全性の確保について,問題点を検討するとともに,研究開発の進め方,規制及び監視のあり方等所要の対策について総合的に検討を進めた。
 原子力委員会は,昭和49年10月,環境・安全専門部会から報告書の提出を受け,同報告書に盛り込まれた意見に基づき,新たに3つの専門部会を設置した。すなわち,同年8月に,原子炉施設等の安全研究の推進について企画審議するため「原子炉等安全研究専門部会」を,同年12月に,環境放射線モニタリングの計画とその結果の総合的な評価について審議するため「環境放射線モニタリング中央評価専門部会」を,また,昭和50年2月に,原子炉施設の安全性に関する基準及び指針等について審議するため「原子炉安全技術専門部会」を,それぞれ設置し,安全性の確保及び環境保全についての原子力委員会の専門審議機能の強化に努めた(なお,原子炉安全技術専門部会の設置に伴い従前の動力炉安全基準専門部会は,昭和50年2月,これを廃止した。)。
 原子力委員会は,昭和50年5月,環境・安全専門部会の審議の結果を踏まえて,発電用軽水型原子炉施設からの放射性物質の放出に伴う周辺公衆の被ばく線量を低く保つための指針である「発電用軽水型原子炉施設周辺の線量目標値に関する指針」を決定するとともに,原子炉安全専門審査会の審議の結果を踏まえ,軽水型動力炉の非常用炉心冷却系の設計上の機能及び性能を評価するための指針である「軽水型動力炉の非常用炉心冷却系の安全評価指針」を決定したことをはじめ,原子炉安全技術専門部会の審議の結果に基づき,表1に示すような指針を策定,整備した。


 これと並行して,原子力委員会は,より合理的な安全指針の策定等を行うため,日本原子力研究所を中心とした軽水炉の工学的安全研究(例えば,冷却材喪失事故,反応度事故等に関する研究),放射線医学総合研究所を中心とした環境放射能安全研究(例えば,低線量放射線による晩発障害及び遺伝障害に関する研究,内部被曝による放射線障害に関する研究)の飛躍的な充実強化を図るなどの諸施策を講じた。ちなみに,原子力安全研究に関する昭和49年度予算は,前年比約2倍に増大し,その後も着実に増加してきている。

 また,原子力施設の安全審査については,原子力委員会は,今後の原子力発電の進展に対応した核燃料物質等の利用の本格化に対処して,原子炉施設以外の核燃料サイクル施設や核燃料物質の輸送等に係る安全性に関し,調査審議する体制を整備することが急務であると判断し,昭和51年4月,従前の再処理施設安全審査専門部会を発展的に解消して,常設の「核燃料安全専門審査会」を設置した。
 一方,政府は,原子力開発利用の進展に伴い,原子力安全行政の責任体制を明確にし,総合的な安全対策の強化を図るとの観点から,昭和51年1月,科学技術庁に安全規制を担当する原子力安全局を設置し,安全規制行政体制の強化を図った。

 原子力委員会は,昭和51年10月,放射性廃棄物処理処分対策に関する基本的方針を決定した。原子力委員会は,その中で,原子力施設において発生する放射能レベルの低い固体廃棄物については,最終的処分方法として海洋処分及び陸地処分を組み合わせて実施することとし,このうち海洋処分については,事前に安全性を十分評価した上,昭和53年頃から試験的海洋処分に着手し,その結果を踏まえ,本格的処分を実施することとする旨の考え方を明らかにした。また,使用済燃料の再処理施設で発生する放射能レベルの高い廃棄物については,安定な形態に固化し,一時貯蔵した後,処分することとする旨の考え方を明らかにした。
 原子力委員会は,昭和53年9月に,従前の原子力開発利用長期計画を改訂し,新たに原子力研究開発利用長期計画をとりまとめた。原子力委員会は,この計画の基本方針の一項目として,安全の確保と原子力に対する国民の支持を挙げており,その中で「今後とも,安全規制の厳重な実施とともに,原子力施設の安全性,放射線障害の防止等に関する安全研究の推進,安全基準の整備,環境保全対策の強化等の一層の充実を図り,安全の確保に万全の措置を講ずることが必要」であり,「このような安全確保の上に立って,エネルギー問題解決のためには,原子力研究開発利用が不可欠であることについて,国民一般及び地域住民の理解を深めるとともに,様々な場を通じて,国民と地域住民の声を原子力政策に反映させることにより,原子力開発利用に対する広い国民的支持を得るものとする」旨の基本的考え方を明らかにした。

 これら原子力委員会の施策が進められている中で,昭和49年9月,原子力第1船「むつ」の放射線漏れが発生した。この放射線漏れが契機となって,原子力行政全般に対する国民の不信を招くこととなったので,これに適切に対処するため,原子力行政体制の改革,強化が実施された。その結果,昭和53年10月に原子力安全委員会が設置されたのをはじめ新しい原子力安全規制体制が確立した。
 この新体制確立までの動き及びその背景となった社会情勢は,原子力安全委員会の設置の経緯を理解する上で重要なものであるので,以下,これについて概説する。